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お茶の水は意外に奥の深い街だった!湯島聖堂・ニコライ堂・楽器街

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昌平坂学問所といえば江戸時代の学校として有名ですが、御茶ノ水駅近くの湯島聖堂にあったものです。

日本の教育の基礎をつくった国立の学校で、東京大学、お茶の水女子大学、筑波大学の元となりました。

お茶の水界隈には、福澤諭吉の姉も信者だった正教会のニコライ堂や、日本最大の楽器街など面白い場所がいくつもあります。その魅力に迫ってみます。

湯島聖堂は幕府おかかえの学校

江戸幕府ができて間もなく、徳川家康は学問の重要性に目を向けました。

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それまでの戦国の世では、人の能力は「武力」が大切でしたが、社会が安定すれば「知力」が必要になると考えたのです。

そこで、当時の儒学者(朱子学者)の林羅山(はやしらざん)を召し抱えて、1605年に今の上野公園のあたりに私塾を開かせました。

幕府ができたのが1603年ですので、すぐに学問に目を向けたということになります。

その後、学問好きの5代将軍綱吉が1690年に湯島に聖堂を建て、ここに私塾を移転させたのが湯島聖堂の始まりです。

なお、3代将軍家光が、この近くにある高林寺というお寺の泉を使ってお茶を飲んだことから、この辺りを「お茶の水」と呼ぶようになったそうです。

↓湯島聖堂。この中で、江戸時代のエリート少年たちが学びました!
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寛政の改革で国立学校に!

松平定信の「寛政の改革」の一環として、1790年にはそれまで林羅山一族の「私塾」だったものが、幕府直轄の「学問所」とされました。

儒教・朱子学の祖である孔子の出生地「昌平」にちなんで、学問所の辺りは昌平坂と名づけられ、学問所も「昌平坂学問所」と呼ばれるようになりました。

また、「昌平黌」(しょうへういこう)とも呼ばれます。江戸時代の最高学府であり、日本の教育の中心となりました。

↓立派な孔子像が建っています
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試験制度が取り入れられて、出世に影響も!?

1792年からは3年ごとに「学問吟味」という成績試験が行われるようになりました。

15才以上の幕臣の子弟を対象としたもので、5日間かけて行われる厳しいものです。成績がよい者は卒業後に優遇され、人よりも早く昇進できたそうです。

翌1793年からは、15才未満の子どもにも試験が課されるようになり、8才以上の子どもは年齢に応じて受けさせられるようになります。

学問所は、いわば小中高大学が一貫の国立エリート校のようなものです。

幕臣の子弟には寄宿舎があり、食費その他は一切幕府持ちという恵まれたシステムです。

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1802年には浪人や庶民でも入れる書生寮も造られ、食費は自分持ちだったものの、その他については幕府の援助を受けられるという仕組みもできました。

その結果、学問所は全国の優秀な子どもが学べる高度な教育機関となり、その卒業生が出身藩に戻り地方の教育を支えるという、裾野の広いシステムができあがったのです。

既に江戸時代に高等教育制度ができていたことが、明治維新後の日本の成長の基盤となりました。

明治に入り1871年には閉鎖されましたが、東京大学、筑波大学、お茶の水大学の源流ともなりました。

ニコライ堂はロシア正教ではありません

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湯島聖堂と御茶ノ水駅をはさんで反対側にある「ニコライ堂」は、丸い屋根が特徴的な正教会の大聖堂です。

ロシア正教の修道司祭ニコライにちなんでその名が付けられていますので、「ロシア正教」と勘違いされますが、正式には日本正教会のものです。

正教会は「ギリシア正教」「東方正教」とも呼ばれますが、キリスト教の宗派です。

地方ごとに「ロシア正教」「ルーマニア正教」などと名付けられており地名は「支店名」のようなものです。

「ロシア正教」という宗教や宗派があるわけではありません。日本にあるものは「日本正教会」であり、宗派名は「正教会」です。

福沢諭吉の姉・鐘も信者であり、ニコライの日記にも「まことに信心深い信者である」と書かれています。

入信した時期は不明ですが、明治24年の雑誌に中津(大分県)に正教会があり、女性の信者は「福澤氏の姉なる服部ドロヒヤ姉と、その姪と二人のみ」とあり、草創期からの信者であったことが分かります。

↓十字架が十字ではなく、横に3本あるのが特徴です。
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二つの聖に挟まれているから「聖橋」!?

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御茶ノ水駅のすぐわきにある「聖橋」(ひじりばし)は、湯島聖堂とニコライ大聖堂とを結んでかかっていることからその名がつけられました。

橋の南側のエリアにある駿河台予備校の生徒たちの間で、かつては「来年は橋の向こうに行こう!」が合言葉になっていたそうです。

ちなみに、「橋の向こう」である北側には東京医科歯科大学や東京大学があります。

さだまさしさんが1970年代に歌った「檸檬」(れもん)という曲に、この橋からレモンを放り投げて川面の波紋を数えるという歌詞がありました。

しかし、実際には橋の欄干(らんかん)は高さが1m以上あり、厚みも30cmほどあるため下をのぞき込むのは困難です。

レモンを投げても波紋を見ることはほぼできません。さだまさしさんは、想像で書いてしまったようです。

日本一の楽器街もあります!?

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御茶ノ水駅から明治大学に向かうエリアには、日本一の楽器街が広がっています。

明治大学の裏手のエリアには、日本のクラシカルホテルの代表ともいえる「山の上ホテル」があり、さらにその先・神保町には、日本一の古書店街があります。

お茶の水界隈は、実に面白いエリアです。ぜひ遊びに行ってみて下さい。

by 水の

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