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初期の小津安二郎監督作品に映り込んだ85年前の日本人の暮らし

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その独自の映像美によって世界的にも評価が高い映画監督、小津安二郎。

現存する彼の初期作品には、85年前の日本人の生活が克明に記録されています。和服に中折れ帽。かけているのはロイド眼鏡。痰壷、円タク、ロングポイントカラー。

まだ”和”が残っていた戦前。今だからこそ見ておきたい、小津安二郎作品に映り込んだ古き良き”日本”をご紹介しましょう。

『学生ロマンス 若き日』(1929年 昭和4年)にみる学生の日常

現存する最古の小津監督作品。学生仲間がスキーに行く話です。両手に持っているストックは竹製なので節があります。日本にスキーが伝来して間もないころ、すでに若者たちの娯楽として定着している点も興味深いところです。

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大学生が下宿している一軒家の2階。バカボンのような着物姿の子供が手に持っているおもちゃはけん玉です。部屋の中にあるのは座り机に座布団。筆記用具はインク瓶につけて使う、つけペン。

貼紙に大きな字を書くときは毛筆と墨を使います。いまならマジックインキでしょう。封筒の宛名書きや会社の辞令なども毛筆です。現在でも格調を重んじる賞状などが毛筆なのはその名残といえます。

このころの暖房は火鉢。50年くらい前に親戚の家で実物をみたことがあります。暖かいのは真上だけ。金玉火鉢なんていう言葉も、もはや完全に死語となりました。

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老若男女とも当時の普段着は和服。家にいるときは波平のような格好です。男性のよそいきはおもに洋装。和装で出かけるときでも”洋”の中折れ帽を必ずかぶるのは当時の流行でした。

メガネをかけている人はみなロイド眼鏡。のび太やワクワクさんみたいな丸いレンズです。一人暮らしの学生である主人公の引越しでは家財道具を山積みにした大八車を人夫にひかせています。

酒屋の店先にはホーロー看板が見えます。「三ツ矢サイダー」「キリンビール」など当時からあったブランド。「ユニオンビール」はすでにありません。

今のようなコウモリ傘に混じって番傘も使われています。大道芸で四角いマスをクルクルと頭上で転がす技のときに使う、あの和紙がはってある重そうな傘です。

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大通りの真ん中には路面電車が走っています。「町松若込牛」と表示された行き先。右から読みます。主人公が購入したスキー板の包装紙には、創業1906年(明治39年)の「美津濃」の文字。いまの「ミズノ」「MIZUNO」といえばおわかりでしょう。

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蓄音機にアナログレコードの音楽が流れる店内。質屋の親父はキセルを握った右手で、持ち込まれた質草を値踏みするためにソロバンを弾きます。

「美人」のことを当時は「シャン」といっています。これはドイツ語の”schoen”(英語:beautiful)に由来します。今では使わない言葉ですね。

『和製喧嘩友達』(1929年 昭和4年)にみる庶民の暮らし

いきなり冒頭のシーンでは、登場人物がお釜でご飯を炊いています。いまでも釜飯があるので、けっして珍しいものではありませんが、やはり時代を感じさせます。生活用水、飲み水は戸外にある井戸からくみだしています。

『大学は出たけれど』(1929年 昭和4年)にみるサラリーマンの原点

後述の『落第はしたけれど』とともに昭和初期の長引く不況と就職難を題材とした作品です。やはり、女性は和服。男性は公の場では背広ですが家では和服を着ています。大正時代、サラリーマン層の成立とともに、会社でスーツを着ることがあたりまえとなり現在にいたっています。

『朗らかに歩め』(1930年 昭和5年)にみる職場の風景

客待ちのタクシーもありますが、まだ人力車もあります。郵便ポストはかつてあった円筒形のもの。やはり表示は「便郵」となっています。

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当時の会社のようすは、男性社員がスーツなのは今と変わりません。出社すると職場の壁にあるフックにコートと中折れ帽をかけます。

タイピストの女子事務員は着物姿のままで仕事。カナタイプを打って書類を作成します。カナタイプとはカタカナ専用のタイプライターです。キー配列を示す大きなポスターが壁に貼ってあるのがみえます。

「東京 黒澤工場」の文字は、はじめてカナタイプの製造を開始した黒澤貞次郎の工場のことでしょう。

1920年(大正9年)11月から戦中戦後を通じ、日本語の表記にかんして「カナモジカイ」の運動が盛り上がっていました。漢字の多い縦書きから、横書きのカタカナを使いましょうというものです。

カナタイプの普及を後押ししました。くしくも2014年11月には「財団法人 カナモジカイ」は解散するとのことです。

ワイシャツのカラーはロングポイント。襟の先が長いのが特徴です。10cmほどあります。セーターの裾は全部ズボンの中に入れてしまうのが当時の粋な着こなしです。

大正生まれの父が生前、よくこのスタイルをしていたのを思い出します。40年を経て、やっといまその理由がわかりました。みっともないからやめてくれと母によく注意されていたものです。

床には痰壷が置いてあります。平成になってからはまず見かけません。それまでは駅などに普通に置かれていました。もはや現物を見たことのある人はほとんどいないでしょう。

『落第はしたけれど』(1930年 昭和5年)でわかるワイシャツの流行

カンニングをするためにワイシャツの背中に答えを書き写して試験にのぞむ学生。その甲斐なく落第してしまいます。気晴らしに新調したスーツに着替えて彼女と活動写真を観にいきます。

いまでいうところの映画です。普通の襟の人もいますが、主人公のワイシャツはやはりロングポイントカラー。襟の先が15cmを超えています。いまの基準から考えると、既製品では絶対にありえない長さです。

世界のOzu、日本映画の原点。その初期の作品に垣間見る昭和初期の日本人の暮らしぶり。女性は和服を着ていても年配の人以外はすでに日本髪ではありません。男性の服装一つとっても文字通り、和洋折衷でした。

もしも昔の日本を知りたい、もしくはまだ子どもだったあの時代へタイムスリップしたいとお考えでしたら、ぜひ小津を観てみてください。画面の向こうに、わたしたちのルーツが広がります。

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