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大学生の学力が低下してる?~ いえ、昔の大学生はもっとバカでした

2014.02.17

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大学生の「学力低下」が問題になっています。

「分数の足し算もできない学生がいる」などという「証拠」が報道されたりしていますが、だいぶまえに大学生だったことのある筆者には、それくらいはあたりまえのように思えます。

人口が減れば大学が入りやすくなるのは当然のことです。

それほど大きな問題なのでしょうか?

東大生の半分は昔なら合格できなかった人たち!?

1940年代後半のベビーブームには毎年250万人以上の子どもが誕生しましたが、1990年代にはその半分以下に減っています。

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その間、東大をはじめとする「難関大学」の定員は全体としては増えていますので、入学できる確率は倍以上になっているわけです。

単純に考えれば、いまの東大生の半分は、昔なら合格できなかった人たち、ということになります。

学力の劣る生徒がいるとしても、それは必然です。教育の質の問題ではなく、人口が減った結果に過ぎません。

昔は1000人に1人しか入れなかった東大に今は2.5人入れる!?

1947年生まれの子どもの数は268万人でしたが、およそ40年後の1990年には122万人と半分以下になりました。

その間、東大の定員はほぼ3000人と変わりません。東大に入れる確率を計算してみると、1947年生は0.11%、1990年生は0.25%ということになります。

学力のある生徒は全員東大に入学すると仮定した場合ですが、1学年で1,000人に1.1人しか入れなかったのが、1,000人に2.5人も入れるようになったのです。

ベビーブーマーにしてみれば、「大学は簡単になったなー」ということになります。

大学が入りやすくなったのは事実かも知れませんが、それは受験生の学力が低下したせいではありません。

たんに人口が減ったおかげで門戸がひろくなっただけ、努力しないでバカになってしまったかのような報道がされるのは、かわいそうです。

昔もいた! とてもおバカな学生たち

学力低下の「証拠」として報道されるものにはこんなものがあります。「分数の通分ができない」「太陽が西から昇ると思っている」「P&Gが何の会社だか知らない。

プロクター&ギャンブルと教えたら、ギャンブルの会社なのかと聞かれた」。

新聞社で、「山の下腹部」と書いた記者がいる、と言うものもあります。

「山の中腹」という表現があるのなら、麓(ふもと)は「下腹部」だろうという発想だそうです。

こうした話はたしかに面白いですけれども、昔からそんな学生はいましたよ。一流大学の学生でも、1/2+1/3=2/5と答える人がいました。

「IBM」がコンピューターの会社だということも、太陽がどの方角から昇るのか知らない人もいましたが、興味がないだけのことでしょう。

太陽が地球の周りを回っていると思っている学生だって、昔からいます。

算数が嫌いだからという理由で文系の学部を選ぶ学生は少なくありません。その代わり、「暗記物」には強いという人は大勢いるでしょう。

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算数ができない大学生がいることと、「学力低下」とは関係ない気がします。

英語に関していえば、いまの学生の方が昔に比べてはるかに高い能力を持っています。

バカな新聞記者もいました!?

「山の下腹部」と書いた記者がバカにされていますが、見方を変えればユニークな発想です。

「中腹があるなら、下腹があっても」というアレンジは、なかなか良いアイデアだと思えます。

流行語は斬新な発想から生まれることが多いので、記者として優れた才能を持っていると言えるのではないでしょうか? むしろ、褒めてあげたいほどです。

かつて、韓国に金大中(キムデジョン、きんだいちゅう)という政治家(元大統領)がいました。

まだ「大統領候補」だったころに来日中に拉致されて、「金大中事件」として騒がれました。歴史や政治に多少でも興味のある人なら誰でも知っていた人物です。

学生時代に、当時の一流大学の学生だった友人から、「金大中って中国人?」と尋ねられたことがあります。

彼は金大中氏が韓国人であることを知らないばかりか、中国に「大統領」がいると思っていたのです。

そんな「おバカ」な彼も、卒業後には大手新聞社の記者となりました。いまではそこそこ偉くなっている彼が、いつかとんでもない記事を載せてしまうのではないかと心配しています。

彼に比べれば、山の麓を「下腹部」と表現した記者の方が優秀に思えます。

60年代の大学生は「全共闘」が忙しくて、授業に出ているひまがなかった!?

1960年代は「全共闘」の時代です。

「学生運動」という政治活動に参加するのが流行しましたので、多くの大学生が「ゲバ棒」と呼ばれる武器を持ち、ヘルメットをかぶって毎日のようにデモ行進に参加しました。

彼らは、デモが忙しくて授業に出ているひまなどありませんでした。

学生が騒いで、東大入試は中止!

1969年には、東大の安田講堂を学生が占拠し、警察隊と衝突するという大事件も発生します。

この事件のせいで、その年の東大入試は取りやめとなり、多くの優秀な受験生が他大学を受験せざるを得なくなりました。昔の大学生は、こんなおバカな騒動も起こしていたのです。

70年代以降はなにもしなくていい時代

全共闘の時代に、授業に出なくても卒業できるという仕組みが定着してしまったおかげで、70年代~80年代の大学生の生活は遊びが中心となりました。

「4年間で4回しか授業に出なかった」という知り合いは、留年することもなく卒業しました。

いまの大学の授業は、出席をとったり宿題を出したりするそうです。

1980年代ころまでは、そういうことはあまりありませんでした。

語学では出欠をとることはあったものの、「代返」(ダイヘン:代わりに返事をすること)も横行していましたので、授業に出ないで卒業することも可能だったのです。

すでに立派な大学教授となった知人も、学生のときの成績表には「A」が6つしかありませんでした。

もちろん、そのあと一所懸命努力して教授に登りつめたのですが、大学教授になるような人の中にも勉強をしていない人がいたのです。

筆者には、いまの大学生が「学力低下」しているようには思えません。だって、昔の方がずっとバカだったのですから。

By 水の

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