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貧乏をウリにした石川啄木ですが実は貧しさは単なるネタだった?

takuboku

石川啄木といえば、貧乏の代表選手のような歌人です。

「はたらけど はたらけどなほわがくらし 楽にならざり ぢっと手を見る」などと生活の苦しさを歌い、大正から昭和にかけて大人気となりました。

彼の歌には今でもファンが大勢いますが、好かれる理由の大きな要素となっているのは、「貧しさ」でしょう。

しかし、実は啄木はそれほど貧乏ではありませんでした。実生活をくわしく調べてみると、むしろ、中クラスの暮らしをしてかなり遊んでもいたのです。

短歌に表現した世界は「虚構」だったと言えなくもありませんが、それでも彼の残した歌には魅力があります。

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いいとこのお坊ちゃんに生まれたボンボン

啄木は、岩手県の曹洞宗のお寺の住職の家庭に「末っ子長男」として生まれました。明治時代のお寺の住職といえばインテリです。

収入も一般の農家よりもはるかに多く、その証拠に、彼は中学に進学しています。当時、一般家庭の子の最終学歴は「小学校」卒が普通で、中学に進むのは裕福な家の子弟に限られていました。

後に、啄木が田舎を離れ「貧乏生活」におちいると、父親に金の無心をするようになります。

その結果、父・一禎は、息子に仕送りをするために寺の金に手をつけてしまい、それが発覚して寺を追われることになりました。父親はかなりの「親バカ」だったと思われます。

女好きな遊び人の中学時代には、妊娠騒動とカンニング

彼は3人の姉のあとに長男として生まれ、「跡取り」として両親から溺愛されて育ちます。そのためか、かなりの遊び人だったようです。

甘いマスクで女子にもモテたのでしょうけれど、中学時代には、後に妻となる節子と付き合い始めています。

他にも女友達がいたらしく、真偽のほどは定かではありませんが、妊娠騒動を起こし示談したとも言われていますので、節子とも中学時代から肉体関係があったでしょう。

小学校時代にはかなり勉強ができましたが、中学では怠けグセ・遊びグセのために成績は悪く、しばしば授業をサボってもいたようです。

試験中にカンニングがバレたことをきっかけに、退学勧告を受け中退するハメになりました。「頭はいいが、手の付けられない不良」というのが、中学時代の彼の実像です。

東京で一旗揚げるために上京するも、すぐに夢やぶれて帰郷

啄木は甘ちゃんのお坊ちゃんで、プライドが高く自分に自信を持っていました。そのため、上京すればすぐに成功してお金持ちになれると踏んでいたようです。

中学を中退すると、すぐに一人で東京へ出てきますが、軽く考えていた出版社への就職はまったくうまくいかず、短歌もある程度は認められたものの、食べられるほどは稼げません。結局、夢やぶれて帰省します。

地元に戻った後、中学時代からの恋人・節子と結婚しますが、遊び人でヘンクツな彼は、結婚式に出席をしませんでした。

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中流以上の収入を得ていた時に書いた「はたらけど」

地元に戻ったあとの啄木は、北海道に渡り新聞記者として働いたりもしましたが、22才で再び上京します。

短歌では食えないと考えた彼は小説家を目指しますが、書いた作品は出版社に全く相手にされません。当時の彼は、短歌を「遊び」のようなものととらえ、「小説」こそが文学の本流だと考えていたフシがあります。

23才のときに、東京朝日新聞に就職がかないました。当時の月給は25円で、賞与込みの年収は403円。

彼にはこの他に、新聞などに短歌や評論を投稿した原稿料や歌集の印税などが入っています。彼の残した日記から収入をつぶさに拾うと、この翌年の年収総額は662円だったことがわかります。

ある調査によると、当時の中流の5人家族の生活費は年額で461円だそうですが、啄木はそれをはるかに上回る収入を得ていたのです。

そんな時に作られた短歌の一つが、冒頭の「はたらけど はたらけどなほ…」です。ある程度の収入を得ていた人が書いたとは思えない、悲しい内容です。

とても金遣いが荒く、女郎屋では下品な遊びをしていた!?

彼の貧乏の原因は、その金遣いの荒らさにありました。

妻を実家に置いたままだったことも原因なのでしょうけれど、啄木は女郎屋通いがクセになっていて、かなり頻繁に遊女と遊んでいます。

サラリーマンとして受け取る収入の大半を、女郎屋につぎ込んでいたのです。

しかも品の良い遊び方ではなく、ゲンコツを女性器に入れるようなことをして楽しんでいたことが、日記に赤裸々に記されています。

金を持っていても貧乏だった!?

啄木は、北原白秋の家を訪ねた時の感想を日記に残していますが、白秋のような洗練された金持ち青年に対し、強いあこがれとコンプレックスを持っていたようです。

中流ではも満足できない人だったのでしょう。好きなことだけをやり、好きなように金を使ってもお金のある生活に憧れていたに違いありません。

もともと裕福な家庭に育ったということもあり、平均以上の収入があっても「貧乏」だと感じていたのです。

啄木が貧乏ではなかったとしても、短歌には価値がある?

啄木は与謝野晶子のように美や恋愛を歌うのではなく、生活実感を歌った点において、独特の境地を作り出したと言えるでしょう。

従来は一行で書かれていた短歌を、三行に分けて書くなど、視覚的表現にもこだわった点は画期的な発明です。

いのちなき 砂のかなしさよ さらさらと 握れば指の あひだより落つ

この歌に表れていますが、啄木の言葉の選択や構成はまさに天才的であり、実際に貧乏であったかどうかとは関係なく、歌には高い文学的価値があるでしょう。

作品は、作者がどんな人であったのかではなく、作品が何を残したのかで評価されるべきでしょうし。

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