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ヒップホップ・グラフィティの歴史と暗黙のルール~ヘタクソは上書き禁止

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渋谷のセンター街などで多く見かける、ヒップホップのグラフィティ。

「景観を害する落書き」として批判も多い「アート」ですが、ここではその歴史の中でも特に注目したい部分を紹介します。

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グラフィティの技術が発達した意外な理由

グラフィティの世界には暗黙の了解がいくつかあります。
その一つが「人の作品の上に作品を描く時は、前の作品を超えるクオリティでなくてはいけない」というものです。

つまり、実力さえあればどんどん「縄張り」を広げることができたのですが、実力のないライターは作品を片っ端から消されてしまう、ということもあったわけです。

このような「自然淘汰」「弱肉強食」によって、グラフィティのクオリティはどんどん上がっていったんですね。

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「よりうまいものを描く」という暗黙のルールがあるところに、人間味というか職人気質的なものを感じさせられます。
グラフィティをただのラクガキ行為に貶めてしまっている一部のライターと、このような歴史を作ってきたライターたちは、まったく別の人種ということが言えそうです。

落書きを防止するため、あえてグラフィティを使うまちづくり

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ほとんどのライターは、完成度の高いグラフィティの上には、恐れ多くてグラフィティを描けないものです。
なので「落書き防止」のために、あえて落書きされそうな場所に「先回り」する街づくりもあります。

そうした場所に先にクオリティの高いグラフィティを描いておくわけです。
グラフィティはもちろん達人に依頼します。

(本来街の鼻つまみ者であったこれらの達人たちが街づくりに役立っているというのも皮肉なものです。元・空き巣が空き巣対策を警察と協力してアドバイスする、というよく見られる事例にも似たものを感じます)

ただ、このような取り組みをしていても、芸術を愛する気持ちのないただの「落書きライター」にはやはり届きません。
クオリティの高い絵の上にさらに落書きがされるということもあります。

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また、その場所を避けて「他の場所に描く」ということも当然あるため、「この対策は有効ではない」という指摘があることも事実です。

*ちなみに、日本で実際に取り組んだのは、2005年の渋谷区宮下公園周辺などです。

キース・ヘリングは壁や床には描いていない

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グラフィティの元祖の一人として有名なのが「キース・ヘリング」です。
画像を検索していただくとわかりますが、いきいきとしたハリガネ人形(顔なしの人形)の絵を町中に描いて、有名になった画家です。

キース・ヘリングはこれを地下鉄の駅で発表していたのですが、彼は壁や床に直接描いていたわけではありません。
地下鉄の広告掲示板の空きスペースに黒い紙を貼り、その上にチョークで描くという、きわめてモラルの高い方法です。

もちろん、「広告板を勝手に使う」ということも一応ルール違反ではあります。しかし、はがせば一瞬で片付くわけですから、一般のグラフィティにくらべて遥かにマナーのいい方法だといえるでしょう。

キース・ヘリングはこのように「社会にほとんど迷惑をかけない」方法を守っていました。
ただ、このことを知らずにグラフィティを描いている人も多く、そうした方々は、自分のような行動からヘリングの作品のような芸術が生まれた、という的外れな主張することもあります。

いずれにしても、当のヘリングはこれだけマナーを守る人であった、ということはもっと知られるべきでしょう。

日本の地下鉄で落書きするとどうなる?

昔のニューヨークの地下鉄が落書きの宝庫だったというのは有名ですが、日本の地下鉄の場合ですと少しでも落書きをすると大変なことになります。

まず警察から器物損壊罪で逮捕されますし、加えて鉄道会社から損害賠償を相当な金額で請求されます。
一つこうしたイタズラを放置すると、割れ窓理論によって次々と他の問題も起きるので、鉄道会社も厳罰をもって当たっているようです。

ヘリングの例でもわかるように、本当に実力のあるアーティストであれば他人に対する思いやりもあるはずなので、罰則があるからどうこうではなく、こういう場所に落書きをするのは、当然控えるべきと考えることでしょう。

芸術とモラルの境目

グラフィティの件に限らず、芸術とモラルの境目というのは複雑なものです。
たとえば石川啄木の短歌は日本人を最も感動させ続けたものですが、それは彼の人生がむちゃくちゃで、家族もろとも野垂れ死にするくらいの、思いやりのなさがあったからです。

(根底に人間愛があったのは確かですが、それでも家族を死なせた事実を見れば、見方によっては「思いやりがない」とも言えます)

他にもミュージシャンのドラッグの例などをみても、モラルがないゆえに芸術的な作品が生まれたという部分は否定できないわけです。

これは、芸術の世界における永遠の課題といってもいいかも知れません。

確かなことは、人を傷つける過激なアートは「それによって不幸になる人」がいるけど、「誰も傷つかないアート」もあるということです。
たとえば、お礼の手紙にちょっとイラストを添える、などですね。

無味乾燥なはずのお礼の手紙が、これだけであたたかいものになり、受け取った人に「今日も仕事をがんばろう」という気持ちを与えてくれます。

芸術とはそういうささやかなものでもいい、と自分は思います。

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