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アタリショックと呼ばれるゲーム業界を震撼させた大事件とは!?

2014.04.17

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現在のテレビゲームといえば、映画鑑賞やスポーツと並ぶ娯楽の一つとして、私たちの生活に浸透しています。

しかし1983年に発生した「アタリショック」と呼ばれる、家庭用ゲーム機の市場崩壊は「北米でテレビゲームは二度と普及しない」と言われるほどでした。

その後のゲーム業界に大きな影響を与え続けているアタリショックとは、どのような事件だったのでしょう?

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家庭の3割に普及していた、Atari2600

世界で初めて商業的に成功したアーケードゲーム「PONG」によって大きな収入を得たアタリ社は、ある家庭用ゲーム機を開発しました。それが1977年、アメリカで発売されたAtari2600(初期はAtariVCSという名称で販売)です。

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世界でも最初期の「カセット交換式」のゲーム機です。それまでのゲーム機といえば、本体がすべてでしたが、Atari2600をはじめとした交換式ゲーム機は、別売りのゲームソフトを用意すれば、まったく別のゲームが遊べる点で画期的でした。

次々とゲーム機を入れ替える必要がなかったため、特にコスト面で、製造者はもちろん消費者にも嬉しいシステムでした。

発売直後は振るわず、アタリ社を創業した本人であるはずのノーラン・ブッシュネルが会社から追い出されるほどの混乱がありました。それに留まらず、社員の一部がアタリ社を抜け出し、勝手に会社を始めてAtari2600のゲームソフトを制作してしまったのです。

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もちろんアタリ社は訴訟を起こしますが、相応のロイヤリティを支払うことで和解となりました。これは、現在であれば当たり前となっている「サードパーティー制度」が法で認められた、世界でも初めてのことでした。

これが功をそうし、多数の優良なゲームに恵まれたために本体機の売上が上昇、Atari2600を中心としたゲーム市場が形成されました。最盛期にはアメリカの全家庭のおよそ3割に、このゲーム機が普及したほどです。

実はファミコン登場前であるこの頃の日本でも、多数のゲーム機が販売されていました。しかしファミコンやAtari2600ほど普及することはなく、数歩も遅れていたと言えます。

このAtari2600も、エポック社により日本へ輸入販売されていました。しかし57,300円と非常に高額であり、普及はしなかったようです。

Atari2600のゲームソフトは、誰もが作ることができた

Atari2600の販売元であるアタリ社は、ゲームソフトの制作環境を公開し、多くの他の企業にゲームソフトを作らせることで成功していました。

しかしAtari2600が普及するにつれ、「Atari2600でゲームソフトを作れば儲かる」という風潮が強くなります。ゲームソフトを制作するだけの十分な実力がなくても、制作し販売することが可能でした。

当時は、インターネットがなければゲーム雑誌もない時代なので、面白いかどうかわからないゲームソフトにお金をつぎ込まなければなりませんでした。

はじめのうちこそ、Atari2600のゲームソフトはどれも面白いものでしたが、状況は徐々に変わっていきます。

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Atari2600のゲームソフト販売に参加する企業は引っ切りなしに増え続け、ついに食品メーカーやペットフードメーカーなども参入。お粗末なゲームソフトを、豊富な資金に物を言わせ大々的に宣伝するのです。

面白くないゲームソフトが市場にあふれ、次第にゲームソフトの販売数は伸び悩み、出来不出来に関係なく値下がりしていきます。

Atari2600だけじゃない、世にあふれたゲームハードたち

当時の家庭用ゲーム業界はAtari2600だけでなく、多くのゲーム機が登場していました。その中で、最もアタリ社の脅威となっていたのはコレコ社の「コレコビジョン」です。

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性能でAtari2600を上回るのはもちろん、当時のアーケードを賑わせていた、任天堂の「ドンキーコング」を正式に認可を得た上で移植するなど、上質なゲームソフトを多数供給していました。

コレコビジョンを始め、性能面でAtari2600の上を行くゲーム機に追従する形で、アタリ社はAtari5200を発売。しかしAtari2600があまりに普及していた点と、5200では2600のゲームを遊べないという問題もあったため、売れないどころか2600と競合し、市場の飽和に拍車をかけるだけでした。

そして1982年のクリスマス商戦での不振を皮切りに、家庭用ゲーム機全般の市場崩壊が始まります。

ゲーム市場崩壊の象徴「E.T.」

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1982年に、あの人気SF映画「E.T.」が公開されました。とにかく集金至上主義だった当時のアタリ社は、ゲーム化の独占権を苦心の末に獲得しました。

しかし、クリスマス商戦に間に合わせるため、たった6週間というわずかな時間しか製作者には与えられませんでした。その結果できあがったゲームは、お世辞にもおもしろいとは言えない作品でした。

そんな程度の低いものを、アタリ社は映画人気に乗じて販売してしまいます。よほど強気だったのでしょうが、当時流通していたAtari2600を上回る数のソフトを生産してしまったのです。

当然、「E.T.」のできに満足できなかった購入者は、いよいよゲームそのものに見切りをつけ始めます。

そして1983年の頭にはゲーム市場の崩壊、とまで言われるほどに売上が伸び悩みます。売れ残ったE.T.のゲームカセットは数百万本以上と言われ、アタリ社が所有する埋立地に埋められたとされています。

日本における「アタリショック」の誤解

近年になって、テレビ番組やインターネットによりアタリショックに関する情報が広まりました。

その中で「Atari2600の質が低すぎて、ゲーム史上が崩壊した」という誤解があります。Atari2600が、大小はともかく原因のひとつであったことはたしかなようですが、ともかく当時のゲーム市場は拡大しすぎていたのです。

アタリショックとは、海外では「Video game crash of 1983」と呼ばれており、ゲーム業界全般において発生した事件であるという捉えられ方がされています。

「Atari2600はゲーム機として、とても優秀だった」ということだけは、ひとつ押さえておきましょう。

By ヒビタカ

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