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植村直己に学ぶ本当の冒険の意味~人を惹きつける魅力とその危険性

2014.06.02

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1984年2月13日、日本が世界に誇る冒険家、植村直己がアメリカ、マッキンリーで消息を絶ちました。2014年でそれから30年を迎えました。

冒険や登山にまったく興味のない方であっても、植村直己という名前くらいは耳にしたことがあるでしょう。

その足跡と共に現代における「冒険」とは何なのかを考えてみましょう。

現代ではかつてのような冒険をすることはできなくなってしまった?

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かつて、冒険と言えば人がいまだ足を踏み入れたことのない未開の地や、ほとんど人の入ることのない場所へ向かうことを指していました。それはとても多くの危険を伴うことでしたので、冒険に出ること自体に大きな価値がありました。

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しかし、今では人類未踏の地はほとんどなくなってしまいました。また、さまざまな技術の発達によってあまり人が足を踏み入れることのない場所に関する情報を誰でも簡単に手に入れることができるようになっています。

つまり、今や世界中を探してもかつてのような「危険」な場所はほとんどなくなってしまったと言えるでしょう。

では、もうかつてのような「冒険」をすることはできなくなってしまったのでしょうか?

現代における定義とは?

もちろん、現代においても「冒険」をすることはできます。しかし、前述のように行くだけで危険、という場所はほとんどなくなっています。

なので、今日ではその危険な状況を自信で制約を作ることによって作ってしまうことになります。これが近現代における「冒険」の新しい定義となっています。

実はその新しい冒険のスタイルを作り上げた冒険家の1人が日本を代表する冒険家の植村直己でした。

極地法での安全なエベレスト登山に価値があるのか?

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いまや、時間とお金さえあればエベレストをはじめとするヒマラヤに私たちのような一般人が挑戦することもそれほど難しいことではなくなっています。実際に、ヒマラヤ登山のベストシーズンである春季などは登山ルートに渋滞が起こってしまうほどに多くの人がハイレベル登山を楽しんでいます。

もちろん、気象観測の技術の向上や、安全なルートの確立といったさまざまな要因があります。しかし、誰もが気軽に高所登山をすることができるようになった最大の理由は「極地法」と呼ばれる登山スタイルが使われるようになったためでしょう。

あまり山に興味のない方にとってはあまり耳馴染みのない言葉かもしれません。この「極地法」は、時には数十名にも及ぶ大規模な隊を組み、最終アタック(登頂への挑戦)をする数名をサポートするといった登山法の一つです。

大人数による荷物の輸送やキャンプの設営などを行いますので、とても安全で確実なスタイルです。

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しかし、数十名で山へ向かうにも関わらず、最終的に山頂に立つことのできるのはわずか数名です。安全で確実ですが、これが本当の登山と言えるのか?極地法での登山に冒険としての価値があるのか?という疑問を持つ冒険家、登山家も現れるようになります。

植村直己もその一人でした。

極地法で登頂したエベレスト…それがチャレンジのはじまりでした

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日本人として初めて、世界最高峰であるエベレストに登頂。1970年5月11日、彼は29歳でした。日本の登山史に残る偉業を達成したにも関わらず、彼は素直に喜ぶことができませんでした。

前述のように、大勢の力を使ってたった数人が安全に登頂する、という極地法に対して疑問を抱いていたためです。

そこから、彼の単独での冒険がスタートします。安全に行くことができるのなら自らに制限を課して、出来る限り難しい方法で目的地へ向かう…。まさに現代における冒険の定義をここで彼は体現しはじめました。

エベレスト登頂を果たした年の8月、彼はすぐに新しい冒険をスタートさせます。

アメリカ大陸最高峰であるマッキンリーへ、彼はソロで向かい、見事に登頂を果たしました。その後も彼の単独行は続きます。

冒険の舞台は山だけではありません。北極点への到達やグリーンランドの横断などに次々と成功し続けました。

最後の舞台…厳冬期のマッキンリーにソロアタック

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ソロでの冒険は当たり前となれば、次はより厳しい条件での冒険をするようになります。

山はシーズンが変われば難易度は大きく変わります。北半球では12月から2月にかけては厳冬期にあたりますので、危険性は一気に高くなってしまいます。

植村直己はそんな厳冬期のマッキンリーにソロで挑みました。もちろん、それまでに誰も成功したことはありません。

そして1984年2月12日。彼は世界初の厳冬期マッキンリーのソロでの登頂をはたしました。植村直己という名がまた新しい冒険史に刻まれた瞬間です。しかし、その翌日、彼は消息を絶ってしまいました。

厳冬期の高山では当たり前ですが、十分な捜査をすることなんてできません。すぐに捜査は打ち切られ、植村直己は死亡とされました。

同年、彼は国民栄誉賞を受賞しました。その偉大な足跡は国を挙げて正式に称えられたのです。

多くの冒険を成功させてきた偉大な冒険家ですら、一つ間違えれば命を落としてしまう。冒険というのはそれだけ危険なものです。

しかし、これでしか得ることのできない感動やよろこびがあるのも確かでしょう。植村直己はその危険性と魅力の両方を教えてくれます。

Byチリペッパー眞木

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