Global Information site~siruzou

右脳と左脳を二つに分離したら本当の自分はどっちになるの?

No18-2-033画像01

人がもつ脳は、おおまかに言えば二つに分かれています。左脳と右脳、といえば、少なくとも聞き覚えはあるでしょう。

人生を歩む上で、私たちは様々な場面で決断を迫られ、意思決定をしなければなりません。その決定を下すための、自分の意思そのものが存在しているのは、左脳と右脳どちらなのか、考えた事はありますか?

「左脳と右脳が離れることはないのだから、両方に決まっている」と言えば確かにそうなのですが、ある状況では、それでは説明がつかなくなってしまうのです。

もし左右の脳が別々で活動した場合、どちらがあなたなのでしょう?

左右の脳が別々になる「脳分割」とはどんな状態なのか?

脳という器官は、その部位により役割が分担されています。記憶を呼び起こす時に活動する部位や、算数などの計算を行う部位、詩や歌、絵画を楽しむ時に使われる部位など、様々に分かれています。

スポンサーリンク

No18-2-033画像02

主に左脳と右脳に分かれており、左脳では物事を理性的、理論的に考えたりする場合に使われる、いわば人間的な脳です。一方で右脳は感覚的、感性的な物事を掴み取る場合に使われる、いわば動物的な脳です。

この左右の脳を直接的に接続し、情報伝達をしているのが脳梁(のうりょう)です。私やあなたは、脳梁があるおかげで左脳と右脳を同一の個体として扱うことが出来ているのです。

しかし、驚くことにこの脳梁は、仮に切断してしまっても、脳の活動そのものは休止しません。何らかの事故や、治療などのために脳梁が機能しなくなっても、左右の脳はそれぞれ活動を続けるのです。

さらに、このような状態になったとしても、日常生活への支障はないようなのです。

脳梁の切断は、一部の癲癇(てんかん)の治療に効果的だとされ、生活に支障もない事から、度々行われていました。しかし脳手術を避ける傾向のある近年ではほとんど行われていないようです。

脳分割患者へ行った実験は、当然の結果が出た

No18-2-033画像03

脳梁を切断し、左脳と右脳を別々に分けてしまっても、生活への影響は出ませんでした。しかし、影響がないはずもない、と考えた一部の医者は、脳分割患者に対しある実験を行いました。

<実験その1>

No18-2-033画像04

「左手でコップを持ってください」という文字を、左目だけに見せます。すると、脳分割された患者は、何事もなくコップを持ち上げます。

ここまでは当たり前の話かもしれませんが、次にこの患者に対し「今なにを行いましたか?」と質問すると、指示通りにコップを持ち上げたとは答えられず、「わかりません」と答えるのです。

ここまでの実験を整理しましょう。脳の仕組み上、右脳では左側、左脳では右側、つまり左右逆に担当します。左目と左手は、右脳によって処理されます。そのため、左目で読んだ指示を左手で完遂できるのです。

しかし、コップという文字を言語として理解し、話すために必要な機能は全て左脳に含まれています。脳梁を切断しているため、左脳が使えず、質問に答えることができなかったのです。

スポンサーリンク

<実験その2>

No18-2-033画像05

「左手でコップを持ってください」という、先ほどの実験と全く同じ文言を、今度は逆の右目だけに見せます。すると、脳分割された患者は、コップを持ち上げることができませんでした。

しかし、「今なにを持とうとしていますか?」と質問すると、「コップです」と答えるのです。指示を言語により答えることが可能なのです。

2つめの実験では、右目だけに見せたため、左脳で命令を処理します。左脳では言語を話すために必要な部位が含まれているため、右脳と違い、言語として処理し、会話することができます。

しかし、右脳への情報伝達が行われないため、右脳が制御している左手は、コップを持ち上げることが出来なかったのです。

<結果からわかること>

それぞれの結果から考えられることは、情報伝達を行うための脳梁が切断されている以上は、出て当然の結果だと言えます。左脳にのみ与えた情報は右脳へ伝わらず、右脳が制御する左手を動かすことなど不可能なのです。

左脳と右脳が全く別々に活動していることがわかりました。しかし、「脳分割患者」と呼んでしまえば他人ごとのようにも思えますが、
あなたや私の脳も例外なく、脳分割すると同じ状況になりうるのです。

理論的には理解できても、倫理的に、人間的には理解しがたく、解決できそうにないと感じるのではないでしょうか?

左右の脳が別の場所にあったら、あなたはどちらにいる事になるのか?

左右の脳を接続している、脳梁を切断することは可能だとわかりました。では、自身の脳を切断し、別々の場所へ離した場合を考えてみましょう。

一方は言語を話すことができないものの、体の機能を過不足なく与えられたとすれば、これまでと同様に活動を続けることができます。この時、左脳と右脳のどちらに、あなたの「人格」が存在するのでしょうか?

分割した瞬間から、それぞれ別の人格が生まれ、別々の目標を持ち、別々の人生を歩むのでしょうか?

また、左脳のあなたが、偶然にも右脳のあなたとばったり再会した場合、どう感じるでしょうか? 分割されてから長い年月が経っていれば、感情を処理する役割の右脳は懐かしさを感じるでしょうか?

これらは脳分割問題と呼ばれ、多くの学者などによって様々な考察がなされています。

byヒビタカ

スポンサーリンク

Pocket
LINEで送る

関連記事

コメント

    • 藤澤 努
    • 2014年 9月 16日

    わたしが考えるに左脳、右脳は、別の個がいると考えます。うつをみると全く別の個があって脳幹で喧嘩していますよね。自分のなかには理想とする強がりな個と情けない寂がりの個が二つあってどちらが本当なんだって悩んだ時期がありました。当然、わたしは、うつ経験者です。どちらかが負ければ収まりますが、強くなろうとしていた左脳?は引き下がらない。右脳?は、もう勘弁ならない。真実はどっちかわからせてやるって脳内でやるもんだかから、生活に必要な情報処理をも脅かし生活が出来なくなって精神障害になりますよね。葛藤っていうやつです。虚無は、なんだって考えます。嘘つきは、わたしの場合、強がろうとした自分でした。わたしは、結局弱虫でした。別にいいけどね。というとこでしょうか。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

知る蔵のTwitter~フォーローをお願います

知る蔵グループ関連専門サイト

ページ上部へ戻る